小さな、大きい決意のようなもの。

私の好きな人について。

すきなひとの話をしようと思います。
昔と今を繋ぐことについて。ただのメモ書きでもあるものです。気づけば人生の半分ぐらいはジャニーズのアイドル達に夢中になっていました。遅れる婚期。言いたいのはそれではないです。(現実逃避)


私の今の1番好きな人。
TravisJapan 七五三掛龍也くん。
彼と出会ったのはずっとずっと前。入所したばっかりの頃。その頃は 可愛い子だなあ、同い年だ!と思っていただけ。私のずっと好きな人が七五三掛くんを紹介していて、彼が好きなら。くらいだった気がします。


今まで色んなアイドルを好きになったけれど、今までもこれからも1番特別だと言える人。1番好きになったと思う人。それが、


Kis-My-Ft2 藤ヶ谷太輔くん。
私が1番のアイドルであり、1番格好良くて、歌もダンスも特に大好きだと思う人。
1番色んな感情も 景色も見せてくれた人。
この記事を書いてやっと整理がつく気がします。
やっと 『担降り』が出来たと言えると思います。


藤ヶ谷くんを好きになったのは2006年。
彼は18歳。高校を卒業した頃だった気がします。
その頃は私は地方の小学生で、ジャニーズは昔から好きでした。加えてジャニーズが好きだった先輩と仲良くなって、Myojoとザ少年倶楽部を見るように勧められたことを覚えてます(笑)
そこでパラパラと見ていた時に出ていたのが Kis-My-Ft2。あの頃はホストみたいで、第一印象があまり良くなかった。(笑)
だけど、少クラでキスマイが歌っているのを観て、藤ヶ谷くんの声がとっても好きで、藤ヶ谷くんは歌って踊っているときは格好つけるのに ゲームコーナーだとおちゃらけて面白くて、一気に夢中になった。
雑誌でもう一回名前を確認して、Kis-My-Ft2藤ヶ谷太輔くんっていう人だ、と何回も録画した少クラを見た気がする。
『ジャニーズJr.』なんて、テレビしか見ていなかった小学生の私には 同級生たちに知っている子が全くいなくて、自分だけ特別なものを知ってしまった優越感があった。誰にも教えたくなかった。私だけが知っている格好良い男の子たちが特別にキラキラして見えたんだと思う。


それからずっと 雑誌と少クラを欠かさず観て、ある時には初めてMusic Stationに出る時があったり。
コンサートに行ってみたい!と思ってお母さんと調べて ジュニア情報局に入ってみたり。
でもやっぱり1人で応援するのは心細くて、小さいながらも共有したい気持ちは今と同じで、1番の仲良しだった幼馴染に頑張ってプレゼンのようなものをしてKis-My-Ft2にハマらせた、なんてこともあった。(笑)
どこかのグループのバックにつくのを予想して音楽番組を録画したり、DVDを買ったり。
地方に住んでたから少ないけどジュニアのコンサートにお母さんと行ったりしてた。初めて作った団扇は 藤ヶ谷くんの団扇。
1番嬉しくて、1番楽しかったコンサートは、
横浜アリーナ代々木第一体育館でやった、
A.B.C-Z & Kis-My-Ft2 First Concert だった。
運良くどっちの公演も当たって行けたのも素敵な思い出。
彼らがよく口にしていた デビューっていう夢が 私の夢だった。彼らの夢を一緒に追いかけたかった。
でも全然叶わなくて、後輩が先にデビューしたり、単独のお仕事はあるのに全然未来が見えなくてもどかしい気持ちが何年か続いたのも覚えてる。
でも、初めて雑誌の表紙を飾った時の嬉しさも、アイドル誌以外のファッション誌に取り上げられた時も、ある雑誌で投稿した私のハガキを藤ヶ谷くんが持って写っていた時のことも、全部覚えてる。
夏といえばジャニーズJr.の大冒険!だし、SUMMARYだし PLAYZONEだった。


受験があって、高校生になって、忙しくなって、周りにジャニヲタがいなくなった私は 特に意識することもなくジャニーズから、Kis-My-Ft2から距離を置いた。
ちょうど Kis-My-Ft2のデビューが決まった時期。
ずっとずっと一緒に追いかけていた夢だった。決まったときはその現場にいなくても、あの頃は今みたいにTwitterじゃなくて、知らないキスマイ担のブログとか検索かけて見てた。すごく嬉しくて涙が止まらなかったのに、複雑な気持ちが残った。初めて好きになったときに抱いていた 『みんなが知らない私の特別』が消えてしまうからだったと、今なら思う。
私の中では Kis-My-Ft2がデビューすること、自体がゴールになってしまっていたんだと思う。
『みんな』の藤ヶ谷くん を変わらない気持ち、変わらないテンションで応援することができないと思ってしまったんだと思う。
でも藤ヶ谷担を降りるって言えなかった。言いたくなかった。ずっと藤ヶ谷くんを応援したかった。
でも気持ちと時間とが追いつかなかった。


ずっとずっと 『キスマイ?藤ヶ谷?誰それ』って言われてたはずなのに気づけば、沢山テレビに出て、みんながキスマイの名前を知っていて、少し距離を置いたら素直に嬉しいと思えた。でもその頃にはキスマイは随分先に行ってしまってて、私がまたあの時と同じように応援するのは難しいことだった。


それから他のグループにも応援してる子がいたから現場に行ったりはしてたし、それぞれ大好きなポイントも想いもあるし、自分も少し大人になったから好きな子を好きなだけ応援してた。友達は知らぬ間にヲタ卒してたし、私もデビューしてからキスマイの現場に入ることはなくなっていた。
でも、藤ヶ谷くんと並ぶ、越える人はいなくて、『藤ヶ谷担当』の自分から離れられなかった。
『ジャニーズJr.の担当』ももうやることないなと思った。


そんなこんなで他のグループを応援しながら少し気になったからっていう理由でその時推してた髙橋海人くんを観るために少クラを観始めたり、情報局入ったりしてたんだけど、そこで藤ヶ谷くんが昔紹介してた彼を久々にちゃんと観ることになったのです。


TravisJapan 七五三掛龍也くん。もちろん、それまでも色んなお話や活躍は知っていたけれど、七五三掛くんはすっかりアイドルをしていた。私は藤ヶ谷くんに一気に夢中になった頃と同じように過去の映像も何もかも探したし、祭りにも七五三掛くんの団扇を持って入った。
そのときに、久しぶりにJr.の現場に入って、思い出した感情を抱きしめて、私の中では大きな、決意のようなものをした。祭りに応募した時とは少し違う気持ちで 夏を迎えた。
ジャニーズJr.の担当 は変わらず楽しくて儚くて幸せだと思った。
七五三掛龍也くんの夢も、TravisJapanの夢も私は一緒に追いかけたいです。少しの私の夢も乗せて。
誰よりも幸せに、誰よりも眩しいスポットライトを浴びて欲しい。まさに藤ヶ谷くんを好きになって追いかけていた時と同じ、それよりも大きな感情かもしれない。


藤ヶ谷太輔くんへ
ずっとずっとありがとう。あなたは誰よりも最高のアイドルで、誰よりも私のヒーローでした。沢山の感情を教えてくれたのは藤ヶ谷くんです。きっとこれからも特別だと思うよ。大好きです。
これでちゃんと藤ヶ谷担当降りられるよ、ずっとずっと過去の藤ヶ谷くんが良いって縋るのはやめます。
今の藤ヶ谷くんもとっても格好良いよ!もう認める!
TravisJapanと七五三掛くんのこともよろしくね!


以上!七五三掛くんこれからもよろしくね!♡♡